【地域情報化の現場から】
第31回「伝統×遊び×ITの街づくり~滋賀県彦根市のまち遊びケータイ~」

息をのむほど美しい彦根城周辺(右上に見えるのが彦根城)
息をのむほど美しい彦根城周辺(右上に見えるのが彦根城)
  「行く春を 近江の人と 惜しみけり」――。俳人松尾芭蕉がそう詠って愛した近江の城下町、滋賀県彦根市。 琵琶湖東岸のほとりにあるこの街で、携帯電話で観光案内をする実証実験が行われている。 「歴史のある街の魅力を深く知って、リピーターになって欲しい」――持続する観光という課題に向かって、産官学のタッグが奮闘中だ。

QRコードで観光情報を呼び出す

駅前にそびえ立つ初代彦根藩主井伊直政公の銅像
駅前にそびえ立つ初代彦根藩主井伊直政公の銅像
  彦根駅を出て直ぐ、大広場には初代彦根藩主井伊直政公の銅像が堂々とそびえ立ち、色とりどりの花がまわりに敷き詰めるように咲いている。2007年3月から行われている「国宝・彦根城400年祭」の赤と白ののろしが風に靡いていた。
 彦根は、井伊直弼を輩出した譜代大名名門の彦根藩主、井伊家が長く反映を極めた城下町。独特のフォルムの彦根城天守は国宝に指定されている。とても歴史深い街だ。

  そんなこの街には他とは一風変わった街づくりのシステムがある。それが「ひこねまち遊びケータイ」だ。これは、QRコードを使った学習型観光システムだ。観光名所の要所要所にあるQRコードを携帯電話で読み取ると、「ひこねまち遊びケータイ」サイトにアクセスし、名所の概要、地図、必要に応じて写真、クイズ等の情報が得られる。要所要所の部分はハイパーリンクになっていて、1クリックで次の説明に飛ぶことができる。伝統的な観光名所という資源を、クイズ等の遊びの要素を加えつつ、IT(情報技術)によって顕在化させようとしている。

  また、QRコードで直接アクセスする方法以外にも、(1)気になった観光名所や、人物の名前を打ち込んで検索する。(2)サイトのトップページからお勧め観光コースをクリックしコース観光を楽しむ――という方法もある。例えば、検索画面で「井伊直弼」と打ち込んでみる。井伊直弼の説明とともに、肖像画の写真も見ることが出来る。そこに表示されたハイパーリンクをたどって「大老歌碑」をクリックしてみる。「『あふみの海 いそうつ波のいくたびか 御世に心をくだきぬるかな』-『不憫な動きがあるけれど自分は身を捨てても世のために尽くす』という井伊直弼大老の心情を詠んだもの」と表示される。知識はどんどん広がっていく。「知る楽しさを知ってほしい」と開発リーダーの谷口伸一滋賀大学教授は語る。

 このシステムにより、旅行に行く前に事前に検索して予習すること、観光前にコースを体験し、予習すること、旅行後に気になるワードや、コースごと閲覧し、復習することが可能となった。

彦根再発見の驚きが開発の原点

  「彦根にはケータイ片手に来て欲しい」
「ひこねまち遊びケータイ」プロジェクトの仕掛け人、谷口滋賀大学教授(彦根ユビキタス産業協議会理事)はそう語る。 開発のきっかけとなったのは、2003年9月に彦根商工会議所と滋賀大学が共催した「日仏景観会議 in 彦根」だった。そこで滋賀大学の山崎一真教授がパネル展示をしていた。そこには、彦根城京橋口の写真があり、大きな二重櫓(やぐら)がかかっていたという。

昔の京橋口 今の京橋口
昔の京橋口 今の京橋口

  「これを見たとき、『え、う、嘘? こんなのあったん?』と驚愕した」。谷口さんは彦根出身で、彦根城の内堀と中堀の間にある彦根東高校に通っていた。「当時から『彦根城は天守閣があるお城だよね』程度にしか思っていなかったのに、中堀にかかるあの石垣の上に、櫓があった。ただただそのことに驚き、頭の中を何かが走った」と言う。「よくよく見るにつれ、彦根城は美しく、そして深いなと思い、次から次へと興味が湧いていった」。
  更に調べていくと、内堀、中堀だけでなく「外堀」もあったのだが、今は道路になってしまったこと、滋賀大学の生協近くに、三大書家で有名な日下部鳴鶴(くさかべめいかく)の生家があることもわかった。
  このようなことを発見し、「彦根はすごいと何度も衝撃を受けた」という。

  初めはHTMLタグを使って紹介サイトを作った。2005年には産官学連携組織である「彦根ユビキタス産業協議会」を創設した。ユビキタス産業協議会のメンバーには、彦根商工会議所や滋賀大学、彦根市、彦根商店街連盟、彦根観光協会、NPO法人彦根景観フォーラム等が名を連ねる。

  この2005年の連携以後、大きな発展をとげる。同年「都市観光の推進による街づくり(全国5都市中の1団体・300万円)」、2006年に「まちめぐり」ナビプロジェクト(25都市中の1団体・1000万円)に選ばれている。2006年度の実証実験から、ケータイをかざすだけでURLが取得できる装置は操作が非常に簡単であり、中高年層への普及が期待できることが認められ、「ユビキタス社会におけるエコ・ミュージアムの創造と実験(研究代表者は谷口教授)(2年間で約450万円)」というテーマで装置開発のための科学研究費を獲得した。

彦根商工会議所の安達昇さんと、滋賀大学谷口伸一教授 谷口氏が張ったQRコードの情報をケータイで読み取る筆者
彦根商工会議所の安達昇さんと、滋賀大学谷口伸一教授 谷口氏が張ったQRコードの情報をケータイで読み取る筆者

  同じく2006年度は彦根市から350万円の事業費を得た。このように開発の波は「ひこねまち遊びケータイ」に対する思いと比例し、ますます拡大していった。

  また、「日仏景観会議in 彦根」期間中には、同時並行で、「ツアー」が行われた。 そこでは、彦根城だけでなく、彦根の歴史や史跡の説明をしながら旧城下町をめぐるツアーを実施した。「彦根にこんなところがあったんだ」と、好評だった。この学習型観光システムを持続可能な形で、一年中続けられないかという開発者側、ユーザー側の思いから、このプロジェクトは始まった。

コンテンツ重視を模索する

 数年の間に飛躍的な発展を遂げた「ひこねまち遊びケータイ」だが、裏舞台では開発に対する壁、大きな苦労があった。

1.苦労:ケータイによるシステム開発の困難性
 当初、ケータイを使った観光ナビシステムに対し、「カーナビとどう違うの? カーナビの方が技術的に進んでいるんじゃないの?」という声が多くあがった。開発当時はGPS(全地球測位システム)を利用したケータイナビもすでに一部の通信会社が提供していた。携帯電話の内部技術は、通信会社によって堅牢に防御されているため、公開技術でシステム開発しなければならないことは、大きなハンディキャップだった。そこで実際に谷口教授らはNTTドコモ関西に協力を求めた。しかし、内部技術は中央研究所が掌握していたため、NTTドコモ関西でもアンタッチャブルゾーンだった。

2.工夫1:カーナビなどとの差別化
  カーナビやケータイナビの特徴を考えると、目的地が決まっていてその場所を探すことが目的に開発されている。また、一般的な地図情報(シンボリック情報)しか出てこない。
  観光客が求めるものは、観光地の「知る人ぞ知る情報」であり、これらはカーナビやケータイナビには登録されておらず、得ることができない。ここに差別化のポイントがあると考えた谷口教授は、さらに観光スポットという点を結んで線として、観光地をよく知る 者がルート(観光導線)を提供することで観光サービスの向上を考慮した。
  そこで、技術開発はケータイの進歩に合わせることにして、コンテンツ重視を模索した。 「知る人ぞ知る情報」を含めてハイパーコンテンツデータベースを構築したことが功を奏し、「ひこねまち遊びケータイ」は再度バージョンアップを遂げた。また、シンボリックな情報だけでなく、生活や文化という非シンボリックな情報提供も含めるようにした。

3.工夫2:イージーオペレーションと低コスト
  ケータイを使ったシステムは京都や東京、大阪でも盛んに開発された。このような大規模な資金投入ができるところは限られており、ここで開発されたシステムを、中小都市に応用することは不可能だ。例えば京都では外国人観光客に対してケータイを貸し出すサービスを行っているが、彦根ではケータイを貸し出すことはできない。予算的に無理なのだ。そもそも、サーバーの維持費を毎年計上することすら困難な財政状態だからだ。
  彦根以外の多くの中小都市は、国家事業費を獲得した年度に限り、業者に委託してシステムを開発し実験を行うが、翌年からはシステム維持の予算化ができず、単年度で終わっているのが現状だ。
  彦根が持続可能なシステム開発を行っているのは、大学との連携も大きな要因だ。 また、彦根の場合、コンテンツを誰でも簡単に作成できるとともに、サーバーなどのハード面も低コストで運用できるシステムとして開発している。
  このように、観光客のニーズに低コストでかつ持続的に提供できるシステムの開発とサービスをシステム要件としていることが大きな特長だ。

社会企業家の国際大会で日本代表に

  彦根市の取り組みは、滋賀県および他の市からから一目おかれ、総務省や国交省などの行政、さらにNTTドコモなどの通信事業者からも、高く評価されている。
  さらに、社会起業家を目指す大学生の実践の場を提供する国際団体、SIFE(http://www.sife.jp/)が開催する大会にも、活躍の幅を広げた。谷口教授の生徒をはじめとするSIFE滋賀大チームが、全国の数々の競合大学を破り、2006年度国内準優勝、2007年度国内優勝・日本代表に選ばれた。
  この宣伝効果は大きく、地方紙はもちろんヘラルドトリビューンでも見開き特集が組まれ、彦根市と滋賀大学のPRにつながった。受験誌の『蛍雪時代』にも取り上げられ滋賀大学をPRしている。
  とりわけ、滋賀大学と彦根市の関係が密接になったことは、法人化後の課題である地域 に根ざした大学のモデルケースとなっている。

「点から面へ」観光パターンを拡大

 観光客側の反響も上々だ。「今年の国宝彦根城築城400年祭で訪れた観光客が、彦根城、城下町に貼付されたQRコードを読む場面が多く見られた」と関係者。また、取材中、彦根城にて、ケータイ片手にQRコードを撮っている10代後半の二人を発見した。「ケータイで情報が見ることが出来、便利で大変わかりやすい」と、反応は良好だ。

  経済波及効果はどうか。観光学会によると、観光資源による直接収入に対し、観光波及効果(例:お土産、飲食等)による収入は2.5倍あるといわれている。

 地理的にみると、「彦根駅から彦根城のルートには、江戸期から創業するような店は残存でず、観光客が寄るところがない」と谷口教授。確かに彦根駅に降り立って、堂々とそびえ立つ駅前大広場の井伊直政公の銅像を背にした後、ホテル、あるいは彦根城までの道はとても閑散としていた。 潜在化している文化遺産を発信するため、「ひこねまちあそびケータイ」は、「ゾーンとテーマ」による観光導線を13ルート提供中だ。(注:タウンナビとして、店情報をはじめ駐車場やトイレなども提供している。)
  これまでの国宝彦根城を見て帰るだけだった観光客を、城下町へと誘導することに寄与し、城下町の街並み、井伊直正の荼毘塚など、多くの彦根市民ですら知らない潜在的観光資源を顕在化させ、観光客の満足度とリピート率を高めた。一方、城下町には老舗の菓子舗が7件あるが、その銘菓のトライヤルユーザの獲得にも貢献した。
  このように、点(彦根城)だけの観光を、面(城下町)へと誘導することで多大な経済効果をもたらしている。

「持続と拡大」が課題

  「ひこねまち遊びケータイ」の今後について、課題は次の2点だ。

 1.持続可能型コミュニティーの創造
  街づくりは長期的な視点で語られることが多いため、最重要事項は「持続可能であるか」という点だ。資金面での課題として、例えば補助金がなくなれば、システム維持ができないだろうか。
  谷口教授は「大学と連携することで、システムの維持が低コストであることと、システムの維持、運用コストを、中小都市向けに持続できるよう考慮したプランの為、問題はないと考えている」と語る。 更に、同氏は他市へのシスム売り込みを考えている。滋賀県高島市や福井県の鯖江市などが候補になっている。
  また、現在谷口教授は、彦根市長に、紙媒体の観光パンフレットに集客効果がないことを訴えている。市長も、今年の400年祭で、ネット情報を通して人が集まることを実感し、パンフレット発行予算を、本システムへ投資するように要望しているそうだ。JRなどに配布しているパンフレットは、配布エリアが狭く、年中、何かのイベントをやっているような観光都市でないと効果がないことは明白だ。

2.コンテンツの更なる充実
  資金面で大分見通しがたつ半面、コンテンツ重視の姿勢もまた、永遠の課題だ。観光客が求める観光地の「知る人ぞ知る情報」を魅力的にデータベース化して、情報発信し続けることが一番の課題だ。「その担い手を学生プロジェクトに求めたり、住民に求めていく活動をする必要があります。幸い、彦根も高島市もその機運があります」と谷口教授は意気込みを語ってくれた。

 さらに谷口教授に今後の展望を聞いた。 二つの展望がある。ひとつは、前出の「ユビキタス社会におけるエコ・ミュージアムの創造と実験」を実施し、真のユビキタス社会のエコ・ミュージアムを実現すること」。二つ目は、「それを水平展開・つまり全国展開をする」ことだ。

 また、言語の充実による海外からの観光客の誘致にも積極的だ。「大学院で4人の中国留学生を指導しているので、まず、国内の中国人を彦根に誘客できるように、中国語による解説、インセンティブの付与を行いたい。次に中国本土からの誘客を、京都から名古屋へ行かせるのではなく、琵琶湖と城をブランドに呼び込みたい。滋賀県への働きかけも必要になってきます」ときらきらとした眼差しで語る谷口教授が居た。

「自ら発信する文化の脈」
  「自ら発信する文化の脈が芽生え始めているのではないか」。これは、筆者自身が2日に渡る取材を通して感じたことだ。
  彦根城400年祭のシンボルである人気キャラクター「ひこにゃん」をご存知だろうか。最近流行の「ゆるキャラ」で、これはいわゆる公式キャラクターで、彦根市等の公式イベントで気ぐるみが登場し、大人気だ。 さて、ここ彦根には国宝・彦根城築城400年祭の公式マスコットキャラクターである「ひこにゃん」の敵役にポジショニングされたキャラクターが居る。戦国武将・島左近(石田三成の家臣)をモデルとしたキャラクター、「しまさこにゃん」だ。こちらも人気を呈しており、東京から来る島左近ファンも多い。
  彦根市河原町の花しょうぶ通り商店街にある有限責任事業組合ひこね「街の駅」寺子屋力石の公式のマスコットキャラクターである。

  「このキャラクターはどうやってできたのですか?」との質問に、寺子屋力石の小杉共弘さんは、「ひとのつながりです。最初に「彦根左近の会」を作った。左近は彦根にとって貴重な財産だな、と思っていてね。それから酒屋さんが声をかけ、お酒を造った。またそこからキャラクターを作ろうという話になって、FMラジオの方がキャラクターを書いた。それで、フィギュアの全国大会で銅賞をとったお茶屋さんが甲冑を作り、ぬいぐるみも作った。こんな感じよ」と教えてくれた。「特技は、奇襲と待ち伏せ」といったように「悪キャラ、裏キャラ全開」で今後もアピールしていく戦略だ。
  「今までは古いとかそういうものに、恥ずかしいと感じていたが、ここ10年くらいいろんなことをやって、ファンが増えてきて、街に愛着がわいてきた。街は人が作るものだと思った。」と小杉さんは本当にいきいきとした表情で語る。
  谷口教授が「潜在化している文化を発信したい」と願ったように、彦根のまちに、自ら発信しようとする文化がじわじわと沸きあがってきているのではないだろうか。更なる彦根の活躍を期待したい。

取材日に東京から来ていた「しまさこにゃん」ファンの親子(左側)と、彦根で購入したグッズ 寺子屋力石内の様子と、「彦根左近の会」の会長小杉共弘さん(左奥) 「しまさこにゃん」に油性マジックでひげを付け加える重野真功(まさのり)さん
取材日に東京から来ていた「しまさこにゃん」ファンの親子(左側)と、彦根で購入したグッズ 寺子屋力石内の様子と、「彦根左近の会」の会長小杉共弘さん(左奥) 「しまさこにゃん」に油性マジックでひげを付け加える重野真功(まさのり)さん

(今川美里=慶應義塾大学総合政策学部2年)


評価と課題:システムから人づくりへ

 商店街や観光地で、QRコードを携帯電話のカメラで写して、ナビゲーションに使うというのは、数年前から各地で行われてきた。しかし、それが定着したという話は聞かない。「できる」ことと「使われる」ことは違うからだ。
  「ひこねまち遊びケータイ」は、他のケータイ・ナビゲーションと違って、大学が大きな役割を果たしているのが特徴だ。一般的に、地域情報化・地域活性化について、実は大学の役割が少なすぎるのではないか。ところが滋賀大学は、積極的に地域に踏み込もうとしている。
  このシステムが定着・普及するには多少時間がかかるだろうが、システム自体の成功より、産官学がタッグを組んだことが、今後に大きな効果をもたらしそうだ。
  「ひこにゃん」「しまさこにゃん」などの展開も面白い。
  地域情報化のすべての事例に言えることは、人づくりに成功すれば、事業自体が引き継がれていくか、あるいは事業の中身が変わっても活力が維持されるという経験則がある。
  いまのところは、谷口伸一滋賀大学教授のリーダーシップに負うところが大きいが、産学官でそれに共鳴・協調して活動する人たちが広がり、次のリーダーが育っていけば面白い。特に学生の中から「地域にとどまって頑張ろう」という人が出てくれば。

  もう一つは「新しい物語の創造」だろう。彦根城、NHKの大河ドラマ『花の生涯』で有名になった井伊直弼などの既存の「物語」に加えて、若い人たちをひきつけるストーリーがそ創出できれば、大きな魅力になるだろう。そうした取り組みでも、若い力の活躍を期待したい。

(坪田知己=慶応義塾大学大学院教授/日経メディアラボ所長)

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